旅人の旅日記

バイク・青春18きっぷの旅諸々の旅の記録

奥の細道ツーリング最終日

10月1日(土)奥の細道ツーリング最終日。朝、ゆっくり温泉に浸かって、ゆっくり朝ご飯を食べてホテルを9時に出発。今日も良い天気。永平寺に向かった。山中温泉芭蕉は、「山中や菊はたをらぬ湯の匂い」という句を詠んでいる。ホテルから永平寺への道は1本道、しかし、というか、やはり左に行かなければならなかたのに、右に行ってしまい暫く走ってから間違いに気づいた。永平寺を訪ねるのは何年振りか?20年以上永平寺には来ていない。芭蕉奥の細道の旅で永平寺を訪れてはいるが俳句は詠んでいない。永平寺の前に訪ねた天龍寺で俳句を詠んだ、その句碑が天龍寺には有るようだけど、天龍寺は今回スルーした。永平寺の中を一通り見て、バイクを停めた近くにあった土産物屋て胡麻豆腐アイスクリームなるものを食べ、敦賀を目指した。胡麻豆腐アイスクリームは甘さ控えめで胡麻の風味が効いて美味かった。永平寺にあった山頭火の句碑「水音のたえずして御仏とあり」も印象的だった。お寺の良さは、宗教的な物よりも修行僧によって磨き抜かれた廊下であったり、修行僧が這いつくばって管理している小さな草1本生えていない苔で覆われた庭園であったりする。永平寺から国道8号を通って敦賀・気比神社を目指した。気比神社に着いたのは昼を少し過ぎた頃、気比神社はスルーして種の浜(色の浜)に行く事にした。種の浜に行く前に腹拵え、気比神社の近くに「千束そば」という蕎麦屋を見つけた。駐車場は満杯なので人気店のようだ。ここは福井県名物の「おろし蕎麦」を注文した。十割の手打ち蕎麦で歯応えも良く美味かった。気比神社から気比の松原を越えて10キロ程の所に種の浜は有る。海岸線が綺麗な場所で、向かいに敦賀原発があるのはご愛嬌。アオリイカ釣りの釣り船の船頭と思われる人に、種の浜にある芭蕉の句碑について尋ねると、浜から1本山側に入った道の途中に寺があり、その寺の敷地の中に芭蕉関連の物が色々有ると教えてもらった。見かけはごつい厳つい人だったが優しい人だった。寺は、「本隆寺」という。本隆寺には芭蕉の詠んだ「衣着て小貝拾わんいろの月」という句碑が有った。この俳句の他に「寂しさや須磨に勝ちたる浜の秋」「波の間や小貝にまじる萩の塵」という句も詠んでいる。本隆寺には芭蕉の杖の跡なる物もあったけどどれが杖の跡か、私には分からなかった。本隆寺には芭蕉の句碑の他に西行の歌碑もある。衣着て、の芭蕉の句は西行の歌にインスパイアされて詠まれた句のようだ。芭蕉奥の細道の旅は西行の足跡を尋ねての旅なので当たり前と言えば当たり前である。種の浜を後にする頃には14時を過ぎていた。次の目的地は奥の細道終焉の地、大垣である。大垣へは時間短縮の為高速道路を使った。芭蕉終焉の地は何回か行っているので迷う事も無い。秋空の下「奥の細道終焉の地」に着いた。我々の奥の細道ツーリング終了記念に、通りすがりの上品なお母様と息子さんの親子連れに記念写真を撮って頂くようお願いした。時間が有れば大津にある芭蕉の墓も参りたかったけどもうそんな時間は残っていなかった。友人とは大垣で別れた。再び大垣から高速道路に乗り自宅に向かった。20時頃に自宅に到着。本日の走行距離449キロ、合計6日間で2,630キロのツーリングだった。移動距離も多く、色々な場所を訪ねたので今は何処に居るんだっけ?と時間と場所を認識出来ない事がこのツーリングでは多々あった、中々経験出来ない感覚だった。何にせよ、2人とも無事に帰れたのが何よりだった。今回の奥の細道ツーリングの芭蕉役は友人で、曾良役が私だったが、少しでも曾良役が務まったのなら幸いだった。友人には何も言っていないけど。

2023年、この時行けなかった市振の芭蕉の句碑・多太神社・那谷神社を見て、大津の芭蕉の墓を参りたいと思う。奥の細道ツーリングパート2の日程が決まった。6月13日・14日柏崎スタートで大津の義仲寺まで、前回行けなかった芭蕉ゆかりの地を巡る。梅雨の晴れ間になれば良いのだが。

 

蕎麦屋 敦賀 千束そば 営業中