旅人の旅日記

バイク・青春18きっぷの旅諸々の旅の記録

奥の細道ツーリング出発

2022年9月27日、待ち合わせは三重県東名阪自動車道御在所パーキングエリアに9時集合。始まりは2022年春のメールから、秋に松尾芭蕉の足跡を辿る「奥の細道ツーリング」に行かへんか?と。心配なのは今年始めた稲作の稲刈りだけだが、稲刈りの時期もよく分からず、何とかなるやろ、と参加の返事。ルート作成、(このルートが中々ハードだった、)宿の手配は発案者のYさん。今回のツーリングは雑誌の記事にもするという事でいつものような、酒・温泉・地元の美味いものは期待してもらうと困るとも伝えられた。まぁそれもええやろと、諦めた。しかし、何だかんだ言って蕎麦も食べたし、東北の海の幸も堪能した。温泉も2ヶ所、2ヶ所とも初めての温泉だった。しかし、松尾芭蕉の人物像や奥の細道を殆ど知らない、いけない、そんなことでは今回のツーリングは楽しめない。確か実家の本棚に奥の細道の解説本のようなものがあった事を思い出した。学研の日本の古典全21巻の中の1冊「富士正晴 奥の細道」を参考にして、自分なりの奥の細道手帳も作成した。本は2回読んだ。家を6時少し前に出発、小雨が降っていた。寒さも有り御在所SAまでは息子が還暦祝いに買ってくれたノースフェイスのゴアテックス上下を着用して走った。御在所SAには予定より少し早く着いたので、朝飯代わりに「ちく天うどん」670円を食べた、少し高くないか?食べている最中にYさんからの到着の電話が入った。御在所SAを出発して、東京から1日だけ参加するMさんと待ち合わせの海老名SAを目指した。途中藤枝SAで一休み、海老名SAには待ち合わせの12時を少し過ぎた頃に到着した。海老名SAで昼ご飯に、3人ともそばを食べたけど、何そばを食べたかは忘れてしまった。海老名SAを出発して、今回のツーリングの真の出発地点、東京の深川に向かった。深川は芭蕉が住んでいた場所で、芭蕉奥の細道の出発地点でもある。この日は元首相の安倍晋三氏の国葬の日に当たり、都内の高速道路は殆どが通行止めになっていた。頼みの綱は、東京在住のMさんである。深川には海岸線を通る高速道路で行く事にしたが、山手トンネル内のあまりの暑さに諦め、五反田で高速道路を出て、銀座経由で深川に行く事にした。バイクで銀座を通る時、近頃嗅いだことの無い香水・パフュームの香りを感じた。昔東京にも住んでいて、銀座にも何度も来た事はあるのに、初めて銀座は良い匂いのする街だという事に気づいた。あー、良い匂い。なんとか深川に着いた。まずは芭蕉の住居跡であると言われてる芭蕉稲荷神社を参拝した。神社近くの芭蕉庵史跡展望庭園にも行って芭蕉の像なども見た。深川で最後に訪ねたのは、芭蕉記念館、入館料は200円也。記念館を退館する時に記念館の係の人に芭蕉の記事を書く事をお伝えすることも忘れなかった。芭蕉記念館を後にして、本日の宿泊地、日光を目指した。深川からは国道4号線で千住を通って首都高川口線に乗ろうと思って、間違えた。結局、鹿浜橋から首都高川口線に乗り、東北自動車道で日光に向かうことになった。しかし、芭蕉の辿った道とほぼ同じ道を通る事となった、怪我の功名?日光でも高速の降り口を間違えた、更に宿に行く道も間違えるという間違いだらけの道中だった。更にハプニング、宿に行く道を間違えた時、YさんのBMW ST1200が転んだ、初ごけらしい、下りの道にバイクを止める時、ギアが入っていなくて転んだ。巨大サイドバックのおかげでバイク本体には殆ど傷は付かなかったが。宿に行く道すがら、晩飯の食べれそうな店を捜しながら走った。何軒か目ぼしい店は見つけた。宿にチェックインしてすぐに晩飯にあり付けそうな店に向かった。チェックインと言ったが、本日の宿は商人宿のような旅館。目を付けていた和食の店は店に着く前に閉店、その店の両サイドに和食の店、洋食の店があった。相談の結果、全員一致で、和食の店に、店の名は「栞 しおり」。私達の入店時には客は私達を含めて2組しか居なかったが、しばらくして満員に。まずは生ビール中4杯頼んだ、3人で4杯なのは私が速攻で一杯目をやっつけるので、4杯。メニューに見た事の無い「しもかつれ」というのが有りこれと生湯葉その他を頼んだ、生湯葉は美味くてお代わりした。ビールの後は地酒を2杯、「仙禽 せんきん」ともう一杯銘柄は忘れてしまったが、頼んだ。料理の美味しい店で値段も手頃だった。疲れと酔いでふらふらしながら宿に戻り風呂に入って寝た。翌朝、餅の磯辺焼きがサービスで出るらしい。ちなみに、「しもつかれ」というのは、鮭の頭と大豆、根菜、酒粕を煮込んだ料理だそうな、食べている時は何物か分からなかった。本日の走行距離は740キロ。この後も思いやられる。

 

うどん 御在所SA 彦兵衛 

    ちく天うどん 670円  営業中

そば  海老名SA  店名不明   営業中

観光  深川 芭蕉記念館 200円 営業中

料理  日光 和食 栞      営業中

参考書 学研 藤正春 奥の細道

荒天の為再び予定が破綻

日付けが変わって12月23日になった。する事も無く窓の外を見ていると、みるみる雪が積もる、面白いくらい積もる、全く面白くないのだが。船のターミナルビルの玄関前でスタックしているトラックがいる、まさか、ノーマルタイヤ?いやいや有りえんだろう。空荷で後輪に荷重が掛からないのだろうか?船会社の雪掻き用のブルトーザーみたいなのを持って来て漸くトラックは脱出出来たみたいだけど、少し進んで又スタックしている。結局、乗船出来たのが午前2時55分。朝は船の揺れで目が覚めた。未だ日が昇らず外が見えないので感覚的には、5メートル以上の波で船全体がシェイクされているように感じた。本当に転覆するのではないかと思った。夜が明けて外が見えるようになり窓から下を見るとせいぜい3〜4メートルの波だった。朝食の用意も普通に出来ていた。大した揺れではないのだろう。40年くらい前に同じくらい揺れる船に乗った時は、今回よりも小さな船だったので船に乗っている間は料理も出来ず、風呂も入れないという悲惨な状況だった。港に着いた時は車が氷漬けでキーもドアの鍵穴に入らなかった、なんてこともあった。当時スマートキーなんて無い。朝起きた時は未だ積丹半島沖にいた、なんて遅い船なんだろうとも思った。売店でビール、酒、つまみなどなど買い込み部屋に篭る。陸地から離れているのでネットも見れない。酒を飲んでうつらうつらして本を読んで、ストレッチをして又酒を飲む。いつの間にか12月24日になっていた。本来なら12月23日の21時15分に京都府の東舞鶴港に着くはずだったけど、到達したのは12月24日の午前3時45分、タクシーも無い。下船の時に聞いたのだが、トラックドライバー以外の一般の乗客は自分を含めて2人だったとのこと、着物姿の若者はどうしたんだろうか?港で仕事をしている人に東舞鶴駅までの道を聞いた、歩いて20分ほど、雪は降っていないけど、寒い。港に繋がれてライトアップされたフェリーは、クリスマスツリーならぬクリスマスフェリーで朝早くから働いている人の目を楽しませているように見えた。少なくとも、私にはとても綺麗に見えた。日が登ればただのフェリーになってしまう。東舞鶴発の列車に乗って帰路についた。北海道の友人に聞いたのだが、私が北海道を離れた後、北海道は風雪で大荒れの天気になったとの事、日程があと1日ずれていたら帰って来れなかったかもしれない。雪でスケジュールは崩壊して予算も大幅にオーバーしてしまったけど、無事帰って来れたので良しとしよう。今回思ったのだが、北海道の鉄道旅には青春18切符はむいてないかもしれない。とにかく列車の連絡が悪い。今度北海道を列車旅する時は北海道内で使える割引き切符、特急列車にも乗れる切符を研究してから北海道に行こうと思った。家に着いたら、今度は住んでいるエリアが大雪になった、積雪80センチメートル、北海道から雪を連れて来たのかしらん?家に帰ってから、函館本線長万部駅から小樽駅の間が廃線になるニュースを見た、今回の列車旅で乗れて良かったけど、どんどん廃線区間が増えてくる、寂しい限りだ。頑張れJR。

猛吹雪、フェリー出航出来るか?

12月22日、当初の予定では釧路駅を午前5時41分に出発する予定だったが、そうすると随分早く小樽に着いてしまい時間をかなり持て余すことになるので、釧路駅発を10時11分に変更した。時間が出来たのでホテルを出て幣舞橋方面に向かった。天気は晴れているが寒い、といっても電光掲示板の温度は−1°を示していた。多分釧路の人達には暖かい朝だったのでは?関西人の私には充分寒い。歩いて幣舞橋到着、幣舞橋の光景は、見るもの全てが凍り付いていて、正に北の寒港という感じ、本当に−1℃?幣舞橋には初めて来た。道路は凍り付いていたけど、乾燥しているのか殆ど滑ることなく歩く事が出来た。空腹感を感じたので釧路駅に向かう道すがら吉野家でも無いかと探したけど無かった。後で調べたら吉野家は釧路には1軒しかなく、しかも駅からは随分離れた鳥取大通りにあるらしい。釧路駅に戻る途中、昨晩晩飯を食べた、くしろラーメン河村を見つけた、タクシーに乗る必要も無い距離だった。朝食は釧路駅で駅弁を買って食べることにした。釧路駅売店には結構な種類の駅弁が売っていた、迷った挙句「どっさりカニ弁当」1380円を購入。もう少し駅周辺を散策しようかとも思ったけど、寒いので駅の中で待機することにした。駅中のローソンでワンカップの日本酒と「ハッカ爪楊枝」を買った。どっさりカニ弁当よりも「花咲カニ弁当」にすれば良かったかなぁなどと思っていた、どっちも似たようなものだとは思うけど。待合室で朝食にどっさりカニ弁当を食べる、カニの量は、松葉蟹の雌、所謂コッペ2杯分くらいの身が入っていた。ご飯の上に載っていたカニフレークは「オオエンコウガニ」のフレークらしい。オオエンコウガニ?弁当の味としてはまあまあだったけどやっぱり花咲カニ弁当にすれば良かったと思った。昼飯も駅弁かなぁ。ホテルを出て歩いている間は寒さはあまり感じなかったけど、1時間以上歩いたのですっかり身体が冷えてしまった。釧路駅から帯広駅へ向かう区間では野生動物が頻繁に見られるらしい、楽しみだ。白糠駅辺りから太平洋が現れた、よく晴れて波も穏やかそうに見えた、日本海とはまったく様相が違う、北海道の広さをここでも感じた。今回の北海道鉄道旅ではまだ蝦夷鹿を見ていない、大概何処にでもいそうなものだが。新吉野駅近くに石器が発掘された遺跡があった、「浦幌新吉野台細石器遺跡」というらしい。旧石器時代かと思ったら、縄文時代早期の遺跡らしかった。この日の北海道太平洋側は天気が良いが風が強い。見た事の無い番号の電話が入った、2回。1回目は無視したが2回目の電話に出てみると、荒天?でこの日の夜に乗船する船が遅れているので午前1時に小樽港のフェリー乗り場に来いとの連絡、フェリー乗り場の前に24時間営業の温泉があったはずだから温泉でも入って待ってよう、と呑気な事を考えていた。池田駅の待ち時間で赤ゲラを見つけた、池田駅近くの幕別パークゴルフ場のマークが赤ゲラをモチーフにしたものだった、幕別パークゴルフの発祥の地らしい。パークゴルフ幕別川で白鳥を1羽見つけた。帯広駅の待ち時間を勘違いしていた、思っていた時間より1時間も時間があった。又駅弁かと帯広駅のなかをウロウロ、「ぶた八の炭焼き豚丼」の小750円とトカップワイン赤の小瓶、ハスカップワインを購入。本当なら駅の外の店で蕎麦でも食べる時間はあったのだが仕方ない。しかし、帯広の豚丼は初めて食べる、これもあり。豚丼は鰻のタレに少し醤油を足して少し甘みを抑えたタレを作り、そのタレに少し厚めの豚バラ肉を漬け込んで炭焼きしたものでガスコンロ、レンジなどで焼いたら家でも出来ると思った、実際家に帰ってから作ったら、これが結構いけた。時間があるのでハスカップワインを飲んで見たけど、甘い。小樽のホテルの部屋飲みの残りのホタテの貝ひもには赤ワインよりもハスカップワインの方が合った。赤ワインで貝ひもは生臭くて食べれなかった。帯広駅の近くに路線図に載ってない駅を見つけた、「帯広貨物駅」、上川駅手前では「標高?m国境駅」ってのもあった、業務用の駅なんだろう。北海道の夕暮れは早く始まり早く終わる、残念ながら新得駅ではアゼルバイジャンの夕陽は見れなかった。新得駅から札幌駅へ行く普通列車が無いので、新得駅から南千歳駅までの乗車券と特急券を買った、当然自由席に座った。南千歳駅からは快速電車で小樽駅まで行ったけど、帰宅時間と重なりかなり混雑していた、マスクはしているけどこんな人混みは暫く経験が無い、向かいの席の女子2人は東京から来たアルバイトをしている学生のようで、どうも小樽で寿司を食べるらしい、マスクはしているけど良く喋る、かなりビビる。小樽駅に着く頃にはすっかり日も暮れていた。小樽駅では夜逃げして来たような、自分よりも大きな荷物をふらふら運んでいる女子に会った。エスカレーターで困っていたようなので、手伝いましょうかと伝えたら、即、是非お願いしますの返事。でかいし重い、何とかエスカレーターを無事にやり過ごして別れたけど、もう少し手伝っても良かったかと後で思った、時間はたっぷりあったのに。午前1時まで何処で時間を潰すか?とりあえず、雪を避けるのに小樽で泊まったホテルのあるアーケード街に向かった、雪の量が増えてきた。ホテルの前を通ると、BARラウンジが有るのを発見、晩御飯の後はこのBARラウンジで時間を潰そうと考えた、本来なら、フェリー乗り場前の温泉で時間を潰そうと思っていたが、雪が酷過ぎた。アーケードを歩いていると、ビアガーデンらしき店を発見。「NEW SANKO ニュー三幸」サッポロビール系のビアガーデンのよう。入店してとりあえずサッポロクラッシックの中生を2杯飲んでから食べ物を注文した。北海道でしか飲めない生ビールは美味かった。営業時間は20時30分までなのでとりあえず閉店まで粘ることにした。結局閉店まで居たのは自分1人だけだった。オーセントホテルのBARラウンジに行く、ニュー三幸からは5分とかからないし、アーケードがあるので雪も大丈夫。BARのトップラウンジは閉まっていたので2階の店に、時間は早いのに先客が何人かいた、店の名はキャプテンズ・バーだったと思う。入ってすぐに閉店の時間を聞いた、23時迄は大丈夫との事。ウイスキーを何杯かお代わりして飲んでいると、酔っ払った割と高齢のカップルが入って来て、入って来るなりイチャつきだした、部屋でやれば、って感じ。見るに耐えず、店員に席を替えて欲しいと伝えたが聞き入れられず。仕方なくずっとそのカップルを見ながらウイスキーを飲んでいたら此方に気づいたのか出て行った、出る時男性の方に睨まれた。外はもう笑うしかない猛吹雪、タクシーは来るのだろうか?温泉はフェリー乗り場から徒歩2分とあるが、温泉に着くまでに遭難しそうな吹雪。ホテルからタクシーでフェリー乗り場まで行った、23時30分フェリー乗り場に到着。長い1日が終わった。私は未だ起きていて雪は阿呆みたいに降っている。

 

駅弁 釧路駅 どっさりカニ弁当 1,380円

   帯広駅 ぶた八の炭焼き豚丼 750円

ビアガーデン 小樽 ニュー三幸  営業中

バー     小樽   オーセントホテル

       キャプテンズ・バー  営業中

アゼルバイジャンの夕陽は女満別の夕陽に似ているのか?

12月21日、Mさんの家で朝食をいただいた。この時「ユメピリカ」の新米を食べた、ユメピリカは日頃食べているコシヒカリよりもモチモチ感の強い米で美味かった。後日、ユメピリカを送ってもらい自宅で炊いたけど、Mさんの家で食べたユメピリカ程は美味しくなかった。水の違いか?炊飯器の違いか?朝食には、Mさんの漬けた大根の漬物もあった。この大根の漬物が少し甘みの有る沢庵のようで、とても美味かった。この大根の漬物は、レシピを教えてもらって自宅に帰ってから漬けてみて、近所の人にも教えてあげたら大評判。厳寒の旭川の地で暖かい朝を迎えられるMさんの床暖房の有るマンションにも感動した。私の自宅は築30年の日本家屋で、屋内の朝の寒さは旭川よりも数段寒い、気がする、朝の屋内の気温は3度の時も、顔が冷たくて目が覚める。旭川駅に隣接するイオンで土産を買って自宅に送った。旭川駅を出発して、上川駅で乗り換えの時間があったので上川駅を出て駅周辺を散策した。上川町は高橋沙羅さんの町で、ラーメンの町でもあった。高橋沙羅さんの幟立は町の中のいたるところにあり、ラーメン屋は町に6軒有るということだった。未だ11時前だったのでラーメン屋は何処も開いていなかった。二日酔いも良くなりお腹が空いてきた。今日からはお金を節約しなければと、心に誓う。細かい雪は降っているけど、日も差して暖かく感じた。上川駅で見た特急大雪の先頭の車両の塗装が剥げていて錆びも出ていた。JR北海道頑張れ!丸瀬布駅の近くの民家に灰色もしくは黒色のモコモコとしたうさぎより少し大きめの大きさの動物が入っていくのが見えた、ウサギならこの時期は白い色だからうさぎではないと思ったが、何の動物かは不明。遠軽駅に着いたので、コンビニでおにぎりでも買おうと思っていたが、店が無い。地図でコンビニの場所を確認したけど、走ってギリギリ電車に間に合うぐらい、厳寒の遠軽駅で心臓麻痺も洒落にならないのでおにぎりは諦めた。遠軽駅を一歩出ると遠軽厚生病院の看板が見えた。遠軽町は昔、旭川でお世話になったMさんの結婚式で泊まったことがあり、その時ご馳走になった生のタラバがにを使ったタラバがにフルコースの味は未だに忘れられない。朝、Mさんの家を出る時、おにぎりを作ってやろうか?と言われた時に作ってもらっておけば良かったと悔む事頻り。遠軽駅で乗り換えた網走行きの電車の窓は2重になっていたので、試しに一重窓にしてみたらめちゃくちゃ冷えた。北見駅は電車の窓から見た限り都会に見えた、勤めていた会社の支店もあった。北の大地に沈む夕陽は、日本海に沈む夕陽に負けてない。中島みゆきさんの唄の歌詞に「アゼルバイジャンの夕陽は女満別の夕陽に似ている」というのがある。午後4時少し前、正に女満別の夕陽を見ていた、みゆきさんが見たアゼルバイジャンの夕陽も、季節は冬でほんの短い間に、小高い丘の上に繁っている針葉樹達を濃い緋色に染め上げて、あっと言う間に沈んでしまう、そんな夕陽だったのではなかったのか?アゼルバイジャンの場所は家に帰ってから地図を調べて知った。安田顕さんの北海道海岸線を車で回る旅のTV番組の冒頭で中島みゆきさんの歌をバックにアゼルバイジャンの夕陽の話をしていた、同じ事を考えている人はいるんだなぁ。安田顕さんも網走湖畔から女満別の夕陽を見ていた、私の見た女満別の夕陽とは違うけど、綺麗な夕陽だった。線路沿いにある網走湖流入する川はすっかり凍っていた。本当ならこの日の景色のメインイベントは網走〜知床〜釧路の景色だったと思うけど、日が暮れて網走から先の景色は見る事が出来なかった。電車旅で、おそらく青春18切符の旅をしていると思しき人が窓の外も見ることも無く携帯をずーっと見ている人が偶にいる、余計なお世話だが、窓の外を見ればいいのにとも思う。知床から釧路に向かう途中の川湯温泉にお世話になった先輩が薬剤師として住み込みで働いている事を知ったのは、自宅に帰ってから貰った年賀状でだった。20時前に釧路駅に着いた。ホテルに入ってから、ラーメンでも食べようと繁華街に向かった。暗いし、雪は有るし、初めての街だったのでタクシーで釧路の繁華街に向かった。ラーメン屋はタクシーの運転手さんに教えてもらった「河村」という店。早速瓶ビールと昔ラーメンしょうゆ味を頼んだ。河村の店主は昔、三重県桑名市にあるイオンで働いた事があるらしい、私も三重県に住んでいた話をしたが、なんだかのりが悪い、気をつけて見てるとかなりコロナ感染に気をつけているみたい、仕方ない。ラーメンの具は、ほうれん草・シナチク・ナルト・焼豚・煮卵半分。あっさり味で美味かった。コンビニでビール・日本酒・つまみを買おうと繁華街をぶらぶらしていたら、つぶ貝の専門店でラーメンも食べれる店「ツブ焼き かど屋」を見つけた、この店のラーメンも黒いスープで美味そうだった。次釧路に来た時は、と思うけど、次いつ来れるか?タクシーを拾ってホテルに戻った。

 

唄 中島みゆきさん 空がある限り

ラーメン 釧路 河村  営業中

旭川の骨董屋で拉致られ、少しビビる

12月20日、オーセントホテル小樽を出て札幌に向かった、朝飯兼昼飯のラーメンを食べる為に。小樽駅から札幌駅へ向かう電車の中からは、学生時代に桑園駅から銭函駅まで電車通学の時に見た懐かしいけど、厳しい冬の海岸線の風景も見れた。学生の頃、学校に遅刻した時、何故、遅刻したのかは忘れたが。銭函駅で「駅・ステーション」という映画の撮影現場に遭遇し、高倉健・石田あゆみ・名古屋章の面々を見た事を思い出した。高倉健より名古屋章の方が強面な感じがした、高倉健は遠目には優しそうに見えた。その時の銭函駅の改札の外は発泡スチロールの雪擬きで真っ白になっていた。札幌駅に着いて地下街をススキノ方面に歩いた。途中大通りの地下街によく当たるという宝くじ屋さんを発見、宝くじを33枚買った。大通りで地上に出た、近くにサッポロ味噌ラーメン発祥の「味の三平」が有る事を思い出したので。しかし、残念、定休日。狸小路に行けば何軒かラーメン屋はあったはず、ところが有るはずのラーメン屋は無くなっていた。ラーメン屋は郊外に移ってしまったのか?狸小路の西側の終点近くに「札幌ラーメン 赤星」というカウンターだけの小さなラーメン屋を見つけた、満席だったので外で少し待ってから入った。やっぱり味噌ラーメン800円を食べた、とてもあっさりした魚介系の出汁の効いた味噌ラーメンだった。二日酔いの身としてはもっと味の濃い、塩っぱいラーメンを食べたかった。ラーメンを食べてから二日酔いの症状がだんだん酷くなって来た、単にトイレに行きたいという思い、大の方。札幌駅に戻る途中の商業ビルの掃除の行き届いた清潔なトイレを使わせて頂きスッキリしたところで、友人の1人Hさんとはここでさよなら、ホットヨガに行くらしい。札幌駅からは電車ではなく、バスで旭川に向かった。コロナのせいだろう、乗客は少ない。旭川インター近くに骨董屋を見つけた。アイヌマキリは売ってないかと考えていた。刃物が好きで、アイヌの工芸も大好きだ。旭川に着いてからは友人MさんのBMW旭川市内を散策、まず、「男山酒造」に連れて行ってもらった。男山酒造に行った後、さっき見つけた骨董屋に行ってみる事にした。男山酒造の「酒造り資料館」は見る所も色々あり面白かった。二日酔いが醒めかけたところであまり日本酒の試飲には興味がなかったが、折角来たのだからと言うMさんの勧めも有り試飲する事に、元々嫌いな方では無いので。3種類の日本酒を試飲させていただいた、二日酔いなのに結構美味い、3種類の日本酒の試飲が終わると、今日搾ったばかりの加水して無い日本酒が有るので試飲しないかと言われ、先の試飲でむかい酒、二日酔いが何処かに行ってしまった私は、すかさず、飲みますと返事。加水していないのでアルコール度数も高くパンチので効いた日本酒だった。試飲させていただいた日本酒では、無加水の日本酒が1番美味かった。無加水の日本酒は初めてでは無いけどあまり飲んだ事は無い。男山酒造を出て、旭川インター近くの骨董屋に向かった、着いたところもう暗くなって閉店してそうな雰囲気だったが、骨董屋の主人が私達に気付いて店の中に入れてくれた。すぐさま店の応接間に入れられた、なんだか拉致られたようで、2人共少しビビる。何が欲しいと聞かれたので、「アイヌマキリ」が欲しいと返事をすると、動物の骨で作られた明らかに素人が作ったと思われるマキリを出してきた、これなら3万という。ほかに無いのかと尋ねたら、応接間の奥から素晴らしいアイヌ模様の彫刻を施されたマキリを出して来た、博物館にあるような素晴らしいアイヌマキリだった、30万と言われた、そんな予算は無いと伝えると何だか馬鹿にされたような気もした、この時娘さんらしき人も加わって話しをした、何故かこれも博物館級の素晴らしい彫刻の施された「イクスパイ」も見せてくれた、何だかお金を持ってなくて馬鹿にされた感じと、これらの素晴らしい骨董品の入手手段など色々想像すると薄気味悪くもなり早々に退散した。アイヌマキリの刃物の部分が錆び錆びで研いでも使い物にならないことを差っ引いても、30万位はするのかとも思ったが。しかしながら、良い物を見せていただいたので、お礼はきちんと伝える事は忘れずに。友人のマンションに車を置いて、歩いて夕食へ。旭川に来るといつも行く「天金」という居酒屋へ、北海道の海鮮が美味い。しかしながら、まだ二日酔いを引きずっていたのであまり食べれなかった、残念。しかしながら、帰りに小腹が空いて来たので「は満長 本店」という蕎麦屋に行った。何年か前、飲んだ後にこの蕎麦屋を探したけど見つからなかったことがあった。白い細めの更科系蕎麦のよく冷えた盛り蕎麦が美味かった。帰りはタクシーで、更に雪の降りが激しくなって来た旭川の夜だった。

 

ホテル オーセントホテル小樽 営業中

ラーメン 札幌狸小路  赤星 営業中

ラーメン 札幌  味の三平  営業中

海鮮居酒屋 旭川 天金 営業中

蕎麦屋 旭川 は満長  営業中

新青森駅の駅員の対応にぶち切れかかる

12月19日、ホテルのカーテンを開けて外を見る、雪は降っていない、曇天。今日も途中、特急電車や新幹線に乗らなければならないと覚悟した。秋田駅発5時23分の青森駅行きの列車に乗った。朝御飯は秋田駅近くのセブンイレブンで買った、塩漬け筋子と焼き紅鮭のおにぎり2個。6時25分東能代駅を通過する頃、東の空の下限の辺りが仄かに明るくなってきた。この時間帯に車両が北を向いて走っていると、右の窓側で朝が始まり左窓側で夜が終わる瞬間があるのではなかろうかとアホな事を考えながら注意して景色を見ていたけどいつの間にか普段の朝になっていた。何時も思うけど、太陽が昇り始めの赤色と太陽の沈む少し前の赤色はぜんぜん違うけど一体何色というのだろう?などと考えながら朝を迎えた。太鼓をかたどったような形をした糠沢駅を通り過ぎた。新青森駅に着いた、ここで大きな間違い?規則の失念?をしていた事にしばらくして気付く。青春18切符では新青森駅からは北海道新幹線には乗れないって事に。そう言えば青春18切符の説明書に書いてあった。青春18切符で北海道に行くには新青森駅から奥津軽いまべつ駅まで行き、津軽二股駅から北海道新幹線に乗る、しかし、津軽二股駅に止まる新幹線は、今日の小樽駅18時の待ち合わせ時間に間に合うには8時14分発と10時7分発の2本しか無い!全く間に合わない。新青森駅の新幹線乗り場の駅員に18切符で北海道新幹線に乗るにはどうしたらいいか尋ねるが18切符では新青森駅から北海道新幹線には乗れないの一言、解っとるんじゃ、ボケ!的な態度で、だからどうしたら新青森駅から北海道新幹線乗れるかを教えてくださいと尋ねた。こちらがかなり焦っている事に気づいたのか、みどりの窓口で新たに乗車券と特急券を買ってくださいと宣った。最初からそう言え、ボケ!的な態度は表さず、早口でお礼を伝えてみどりの窓口に走った。みどりの窓口の担当の人は、青春18切符北海道新幹線を利用するのはとても不便なんです、などと言いながら津軽二股駅から木古内駅までの切符のキャンセルを行い、新青森駅から新函館北斗駅までの乗車券と特急券を用意してくれた。そもそも、新青森駅からの北海道新幹線には青春18切符では乗車出来ないことを忘れていた自分のミスなので駅員にあたるのは理不尽な事であることに気づいたのは新幹線に乗って一息ついてから。スミマセンでした。長万部駅青春18切符で旅行している人が新幹線の乗車について駅員とかなり長い時間揉めていた。みどりの窓口で切符をキャンセルして新しく乗車券と新幹線の切符を買うなんて当たり前の事だと今なら分かるが、相当焦っていたんだなと思う。しかしながら北海道新幹線に乗るのは初めて、初北海道新幹線を楽しまなければ。よくぞ津軽海峡の地下にトンネルなんぞを掘ったものだ。津軽海峡の地下トンネルの工事で5人の作業員の方々の犠牲者があったと今回の旅から戻った正月の番組で知った。合掌。北海道新幹線はめちゃめちゃ快適、鈍行列車の旅とは訳が違う、何もかも、天国。新函館北斗駅で何か食べようと思ったが、何も無い。早く函館に行けと言わんばかり。新函館北斗駅からの普通列車の連絡が無く、長万部町まで特急北斗9号に乗らなければならなかった。けっこうな出費になった。JR北海道の運営が厳しいと思ったことが2つあった。1つは特急列車の外側の塗装が剥げて錆びたまま運転している事、2つ目は、北海道の駅のトイレのウォシュレット率が低い事、なんなら便座も冷たかったりする、何気に座ると冷たさで飛び上がる。ウォシュレット設置率の向上をお願いしたいものだ。大沼公園の大沼は一部が凍結していた。天気も良く、大沼越しに見る駒ヶ岳が美しく見えた。森駅近くの海岸線を走っていた時、ここから下北半島は見えるのかと地図で確認したら、全く見えない事がわかった、この時まで、見えるとずっと思っていた。八雲駅の近くの木に大きな黄色い嘴の「オオワシ」が留まっているのを見た。おそらく人生初の野生のオオワシだった。単純にこんな猛禽類が普通に見えるという事が羨ましかった。長万部駅には昼過ぎに到着した。コンビニでおにぎりでも買おうと駅周りを散策したけど近くにコンビニが無かったので、駅前にあった「そばの合田」で天丼セット1290円を食べた、これが失敗だった。いつものように、かけ蕎麦だけにしておけば良かった。そばは乾麺で天丼のキスは消毒臭かった。が、腹が減っていたので完食してしまった。満腹で夜になってもあまりお腹が空かなかった。駅から海岸まで雪の中歩いて行ったら、浜辺に降りて歩いている人がいた、人の事は言えないけど物好きな人もいる。最初長万部からは室蘭本線で札幌経由で小樽に入るつもりだったけど、時刻表を眺めていると、函館本線を使って小樽に入れる電車があった、かなり時間を短縮することができる。雪に埋もれかけたような倶知安駅通過、何度かスキーに来た。倶知安では昔、今日小樽で会う予定の友人M君と2人でジンギスカン9人前を食べた事を思い出した。小樽には16時30分頃に着いた。大学時代の同級生2人が小樽駅まで迎えに来てくれた。特急や新幹線使ったらもっと早く着くのにと言われたが、趣味だから仕方ない。3人で小樽駅から今日宿泊予定のホテルまで歩き、ホテルで一休みして、小樽の「聖徳太子」という居酒屋まで歩いて行った。聖徳太子のBGMは懐かしい昭和歌謡だった。北海道の海鮮と昔話を肴に今日も呑み過ぎてしまった。

 

そば屋 長万部 そば合田 営業中

食事  小樽  聖徳太子 営業中

今年も雪の日本海、予定崩壊!

12月18日(土)ホテルから外を見ると風・雪共に強し。嫌な予感がする。朝早くホテルを出る時、朝食代わりの「さけめし」という駅弁をホテルから頂いた、有り難かった。後日、テレビでこのハイマートホテルの駅弁を紹介している番組を見た。直江津駅に着くと、乗車するはずの6時15分発の新潟行きの快速電車が早くも運休になっていた。嫌な予感。時間が出来たので待合室で先程頂いた「さけめし」を食べた、少しだけれどイクラも入っていた。二日酔い気味だったけどお腹も空いていたので大変美味しく頂きました、感謝。6時26分発の長岡駅行きの電車に乗って乗り換えで新潟駅を目指した、嫌な予感が増してくる。柿崎駅から先は荒波打ちつける日本海沿いを走る、早速、車内放送で、風が強いので所々徐行運転するとの事。冬の日本海側の列車旅では何度も経験しているので予想はしていたが、今日は特急列車も使わないといけないなぁ、と覚悟した。強風の為「波の花」が電車まで飛んでくる。信越本線東光寺駅辺りで田んぼの中の白鳥の群れを見つけた、今年も会えた。白鳥を見ると冬の旅をしてるなぁと感じる。なんとか新潟駅までは移動することが出来たけど、新潟駅から先の電車が動いていない、かなり焦る。最終目的地は小樽。みどりの窓口に行って今日中に弘前まで行きたいと告げると、新潟から新幹線で大宮まで行き、そこから東北新幹線で秋田まで行って弘前を目指すルートを提案して貰ったが、お金が心元ない。しかし!2022年冬の青春18切符の旅でこの提案を思い出し、実行する事になる。もう一つの案で14時57分発の秋田行き「稲穂7号」が動く予定である事を教えて貰った、その時まで特急列車も止まっていた。秋田着が18時41分、そこから先弘前まで行っている電車はあったけど、弘前駅着が22時を過ぎる、予定通りに動けばの話しでもある。今日の宿泊地を秋田市に変更、弘前の宿「津軽の宿 弘前屋」に、直前で大変申し訳ないけど、今日の宿泊のキャンセルをお願いしたいと申し出た。弘前屋さんには快く了解頂いた、キャンセル料も要らないという。有り難かった。機会が有れば泊まりたい。秋田のホテルは前にも泊まったことの有るホテルを予約した。新潟駅で待ち時間がかなり出来たのでまず新潟駅の中をぶらぶらした。新潟駅は土産屋や新潟の地酒を飲み比べが出来る店があったり施設はとても充実していた。新潟駅では北海道で会う予定の友人に土産として酒のつまみを何点か購入した。新潟駅から外に出る時、宝くじ屋を見つけた、今日は一粒万倍日らしい、一粒万倍日が何日も有る事に最近気がついた、あまり有り難みはは無いけど、年末ジャンボ33枚購入した。宝くじを買った後、新潟駅近くの繁華街に少し早い昼飯を求めて向かった。繁華街に入って直ぐ「須坂そば」を見つけて早速入った。開店時間の11時にはなってなかったけど入って良いとのお言葉。まず生ビール中と新潟名物3品(ノッペ汁・厚揚げを焼いて生姜を擦ったのを載せたもの・海藻をゼリー状にしたもの)を頼み、ビールの後は新潟の地酒3合ほど。締めはへぎ蕎麦1.5人前、ここのへぎ蕎麦は、所謂「ふのり」の感じが少なくて普通の蕎麦に近いへぎ蕎麦で美味かった。駅に戻ったけど未だ時間が有ったので時間潰しに新潟駅の中に有る「プロント」でハウスワインの白を頼んだった、めっちゃ不味いワイン、ハイボールにすれば良かったとおもいっきり後悔した。秋田までのいなほ7号の車内の印象は全く無い、酔って夢でも見てたのか?秋田に着いたら、きりたんぽ鍋でも食べようと思っていたが昼に飲みすぎだ為と猛吹雪の為出歩くのも面倒で晩御飯は駅弁にした、何年か前に大雪で大館駅に足止めされた時に朝から熱燗と鳥のつまみを食べさせてもらった店の「鶏めし」という駅弁。それと缶ビールは忘れずに。気疲れと飲みすぎで風呂も長くは入れず。露天風呂から外を確認したら益々吹雪は酷くなってきてる。明日も思いやられると思いながら眠ってしまった。

 

宿 直江津ホテルハイマート  営業中

宿 弘前 津軽の宿 弘前屋  営業中

駅弁 直江津 さけめし ホテルで頂いた

蕎麦 新潟駅近く 須坂そば  営業中

駅弁 秋田 大館の花善 鶏めし 営業中

特急列車 いなほ7号   新潟〜秋田