旅人の旅日記

バイク・青春18きっぷの旅諸々の旅の記録

日光で子供達の良縁をお願いし、那須の殺生石に戦く

9月28日(水)朝から良い天気。朝ごはんは大野屋旅館サービスの磯辺焼き、おばあちゃんの手打ちの餅を焼いていただいた。餅を食べる前の朝風呂は忘れない。朝ドラの最終回が近いのでBSで7時30分から見ようと思っていたが部屋のテレビにはBSは映らなかった。7時40分に宿を出発。旅館の駐車場で、東京から参加のMさんのバイクの下に、オイルが漏れて溜まっているのを発見、大丈夫か?まずは日光東照宮に参拝する。宿からバイクで5分ほど、エンジンも温まらない距離。日光東照宮の開門が9時からだったのでぶらぶら。8時50分には観光客も並び始めたので少し早い開門。まずは本殿にお参りして、その後本殿に行く途中にあった金色の「良い縁うさぎ」に娘・息子・甥っ子の良縁をお願いした、成就の際には再び良い縁うさぎにお礼に来る事を約束した。翌年の正月息子が付き合っている彼女がいると報告、まだ付き合って1ヶ月ほどらしい。その彼女と良い縁があれば再び良い縁うさぎをお参りすることになる、他の2人の良縁も再びお願いしたい。後は見ざる言わざる聞かざるの三猿、眠り猫の彫り物を見た。眠り猫のある場所を間違えて、東照宮の1番高い所まで登ってしまった。日光東照宮を後に那須郡黒羽町の「雲巌寺」を目指した。黒羽町に入ると芭蕉の観光案内や黒羽前を流れる那珂川の鮎の幟立が目立って来た。しばらくして、「芭蕉の館」の看板を見つけたので行ってみることにした。芭蕉の館は大きな古民家風の建物だったけど、中には入らず雲巌寺を目指した。結構時間が無いのでスルーするとこはスルーすることにするー。雲巌寺JR東日本の大人の休日倶楽部のCM撮影で吉永小百合さんが訪れた事があるようだ。芭蕉雲巌寺で「木啄も庵は破らず夏木立」という句を詠んでいる。どうも右の股関節の調子が悪い、雲巌寺の石段も長くて傾斜がきつい、登れるか、ふと心配になる。石段の脇に「還暦すぎたら廻り道」とある、癪に触り石段を登った、少々痛みはあるが普通に登る事が出来た。寺の中には入ることが出来なかったので寺の回りの風景を楽しんだけど、紅葉の頃が良いんだろうなと思った。ネットで見た吉永小百合さんのCMの雲巌寺は雨の中だった。雲巌寺の駐車場に戻って来るとMさんのバイクの下にオイル溜まりがあった、我々のバイクにもMさんのバイクから飛散したと思われるオイルの跡が点々と付いていた。雲巌寺の後は那須殺生石を目指すので、途中バイクを修理する場所など無いためMさんとは雲巌寺で記念写真を撮って分かれることにした。腹が減ってはツーリングはできぬので那須に行く途中の道の駅「東山道伊王 あんず館」で天丼1,000円を食べた、海老天2本と野菜天山盛り、お腹はパンパンに。本当は蕎麦を食べたかったが待ち人が多かった為諦めた。那須殺生石を目指す。殺生石那須湯本温泉の近くにあった。殺生石の周りは今でも硫化水素が噴出しており辺りは硫黄臭い。殺生石近くの流れに手をつけてみるが温泉で暖かいのかと思ったら、冷たい水だった。2022年3月に殺生石が真っ二つに割れたようだ、殺生石に巻かれていたと思われる注連縄も無残に切れていた、ネットでは殺生石に閉じ込められた「金毛九尾の狐」がプーチンに取り憑いたのでウクライナ紛争になった、などなど都市伝説的な話しが幾つか見られた。しかし、結構大きな殺生石が真っ二つ割れるっていうのはあまり嬉しくは無い話ではある。冬の間に殺生石の隙間に水が入りそれが凍って割れたとしか思えないけど長年冬の寒さに晒されて割れなかった殺生石が割れる?それも真っ二つに?次に訪ねたのは「遊行柳」那須岳を下って遊行柳に行くのではなく那須岳を越えて遊行柳を目指した。那須岳を越えて町に入ると、標識に「遊行柳」とある。標識の1キロ四方をうろうろしたが遊行柳は見つけられなかった。近くの工場にいらっしゃった人に遊行柳の場所を尋ねたら、工場の前を通る国道の反対側に目的地が有るとのこと、なんと不親切で分かりにくい標識だ。工場の人にお礼を言い、国道を渡り遊行柳に行く。芭蕉の句碑の左右に柳の木が1本ずつ生えていた。芭蕉の句碑の他に芭蕉の敬愛する西行の句碑と蕪村の句碑があった。芭蕉は、西行の「道のべに清水流るる柳陰しばしとてこそ立ち止まりつれ」の歌に対して「田一枚植えて立ち去る柳かな」という句を詠んだ。白河の関を目指す。

 

 

宿 大野屋旅館 日光東照宮近く 営業中

道の駅 東山道伊王 あんず館  営業中