旅人の旅日記

バイク・青春18きっぷの旅諸々の旅の記録

紀伊長島 温泉に入る代わりに蘇民将来の由来を聞く

自宅を10時30分に出発、東京の友人Eさんと三重県の御在所サービスエリアで落ち合う、東京の友人はこの時すでに400キロほど走っている。御在所から三重県尾鷲市を目指す。昼飯は大台町三瀬谷の「一富士」で五目中華そばを食べた、相変わらず混んでいたが、相変わらず美味い、昔懐かしい和風の中華そば、スープまで完飲。一富士を後に、近くの温泉「阿曽湯の里」でひとっ風呂、この温泉は廃校になった学校を再利用している、天気も良く良い気分。国道42号を南下して紀伊長島の道の駅 マンボウで休憩、本日2湯目の有久寺温泉を目指した。有久寺温泉に着いたが温泉はこの日はやっていなかった。温泉の営業日は土日だけとの事。温泉に入る代わりに、三重県伊勢市近郊で家の玄関によく貼ってある「蘇民将来」のお札の由来について教えてもらった。蘇民というのは大陸からやって来た兵のことであるという。日本の一部の民が蘇民と和睦し、その証として玄関に蘇民将来の札を貼った、その札の裏には「あなた方の言う事を聞く」という意味の文言が書かれていた。ある日、大陸からの大勢の兵が日本のある町を襲った、伊勢地区で蘇民将来の札が多いからある町とは伊勢の町?町民は皆殺し、その中で蘇民将来の札を玄関に貼ってあった家の家族達だけが助かったという事、大陸からやって来た民はその後大和朝廷を作った、という事を教えてもらった。伊勢に住んでいた国津神は出雲に追われたのだろうか?あと、有久寺についても教えてもらった。有久寺温泉は鎌倉時代平将門の子供の平将国によって開かれた。平将門斬首の後、平一族が船で紀伊長島にやって来た。船に火を放ち沖で燃やしたという事。有久寺温泉は平将国が神のお告げで見つけたという話もある。有久寺は花山天皇開基とされている寺である、寺の横にある道は熊野古古道とも呼ばれ奈良県の吉野に通じているらしく、義経静御前と吉野で別れた後、北上せずに有久寺の奥の院に弁慶と潜んでいたという言い伝えもあるという事だった。なんだか分からないが勉強になった。私達が有久寺を離れる時、和尚が法螺貝を吹いてくれた。有久寺を後に、本日宿泊地の尾鷲市に向かった、尾鷲市はもう近い。宿の「ホテルビオラ」にチェックインして、昔よく行った「あけぼの鮨」に行く。あけぼの鮨は20年ぐらい振り、店主、その娘さんに昔よく来たことがある旨を伝えると、娘さんが覚えているとのたまわった、かなり感激した。地元の魚と鮨、昔食べたミルフィーユ鮨これは鮨飯雲丹鮨飯雲丹とミルフィーユのように重なった鮨、これは食べたかどうか定かではない。鬼海老など食べた、鬼海老は尾鷲エリアでしか食べれない海老。たしか、少年マガジン将太の寿司という漫画で鬼海老が紹介されていたと思う。支払いはこの日は考えずに食べたのだがビックリすりほど安かった、20数年ぶりに来たのでサービスだったのか、機会があればまた行きたいものだ。あけぼの鮨を出てぶらぶらしていると喫茶店があったのでそこでもゆっくりした、ホテルは尾鷲神社の近くにあった、喫茶店を出て少し冷たい海風にあたりながらホテルに帰った。

 

中華そば 大台町三瀬谷 一富士 営業中

温泉 阿曽湯の里 営業中

   有久寺温泉 たぶん土日営業中?

鮨 尾鷲市 あけぼの鮨  営業中

宿 尾鷲市 ホテルビオラ 営業中