旅人の旅日記

バイク・青春18きっぷの旅諸々の旅の記録

被災地を思い、瀬見温泉・夏油温泉に入る

今回のツーリングも東北地方に。2泊3日で行って来た。初日は、東京ー一ノ関ー気仙沼ー大船渡ー瀬見温泉のルートで。宿は瀬見温泉。2日目は、瀬見温泉夏油温泉ー横手ー山形のルートで。宿泊はおそらく、山形市内のホテルに泊まった。3日目は、山形ー米沢ー会津若松ー白河のルートで帰宅した。初日の昼飯は、気仙沼の被災地跡に建てられたプレハブの食堂で「賄い丼 1,200円」を食べた。お金を少しだけれど落とそうと思って行ったけど、震災から3年経っていたので店の方々は元気いっぱいだったように見えた。こちらが気持ち的には救われた感じ。被災地では印象に残ったのは気仙沼ー大船渡辺りの被災地だった。その時は被災によって更地になった空き地を駐車場などで活用しているので、被災の跡は所々にしか無いように見えたが、そんな訳は無い。被災地のお墓がほぼ全て倒れており、なおかつ直されていなかった景色を見た。海岸線に新しい防波堤を作るために大型トラックが走り回っていた。テレビでも見たけど、6階建てのマンションの5階までが津波でめちゃくちゃに破壊されていた、想像を絶する。山影の集落で、家が流されて更地になっているすぐ横の家は津波から免れて人が住んでいる様子、人の運の良い、悪さも感じた。瀬見温泉夏油温泉に入るのは今回が初めて。瀬見温泉つげ義春の「つげ義春とぼく」という本によると「瀬見温泉は主に庄内地方の農民の湯治場であるが東北の湯治場らしい雰囲気は無い」とある。確かに温泉以外の記憶が無い、しかし記憶に思いっきり残った事が2つある。1つは、瀬見温泉の露天風呂に入った時に我々に襲いかかって来た虻である。私は右足の表と裏、左足の脹脛を刺された。痒い、刺された部分が腫れあがり猛烈に痒い。虻の群れ、大群ではなかった、に襲われた。タオルを振り回して逃げたけど刺された、2匹ほど殺したけど。あの時、網戸に群がる虻は確認していたのに、何故殺虫剤の大量噴霧でやっつけなかったか悔やまれた。2つ目は、内風呂で広島市中区生まれのカナダ人と1時間近く温泉に浸かりながら話をしていた、当然日本語で。その時彼は東京の吉祥寺に住んで、映像関連の仕事をしていて「妖怪」の映像作成に携わっていると言っていた。広島県三次市の妖怪の話をしたと思う。2022年9月に奥の細道のルートを訪ねるツーリングに行った、宮城県から山形県湯殿山に行く時に瀬見温泉を見つけたけど、イマイチ記憶に無い景色だった。次の日、瀬見温泉から夏油温泉に向かった。夏油温泉つげ義春の「つげ義春とぼく」によると「どう見ても山賊集落にしか見えない」とある。私の感じでは大正・昭和の臭いがプンプンする湯治場で秘湯感満載だった、ここも混浴で、行った時1組のカップルが入っていた。夏油・げとうというのはアイヌ語が起源らしい。3日目は山形市内のガソリンスタンドでは私のバイクの広島ナンバーを見て話かけてきた男性がいた。彼は広島県の吉田町出身という事で、広島ナンバーに郷愁を感じたのだろうか?後2〜3年山形に居て広島に帰ると言っていた。山形では朝日連峰の山々に登って色々な石、たとえば、メノウなどを採取して自分で加工して楽しんでいるらしい。赤いメノウのネックレス?男性だから首飾り?を見せてもらった。今回のツーリングは東北の震災から3年経ってのツーリングだった。被災地の復興はまだまだだったけど復興しているところもあり、人々は元気そうに見えた、元気そうにしていただけかもしれないが。東北を旅することで少しは役に立ちたいと改めて感じた旅だった。震災の年の9月に塩釜に行っていたというメモを見つけた。塩釜の港の一部は大きく崩れたままで所々大きな穴が空いていたり、瓦礫がうずだかく積まれたりしていた。そんな中、釣りをしている人もいたり、青空をカモメが飛んでたりしていたのを見ていた。

 

温泉 瀬見温泉

   夏油温泉

参考図書 つげ義春 つげ義春とぼく