旅人の旅日記

バイク・青春18きっぷの旅諸々の旅の記録

2年振り、北海道を目指して 青春18切符

2020年は、コロナで旅などとんでもない状況だった、少しコロナが落ち着いたので久しぶりに旅に出た。2021年12月17日金曜日、朝6時に家を出た。小雨が降っていてそれ程寒くない朝。電車に乗ると、大雪警報が出たらしく通学中の高校生たちが携帯のメールを見ていてバタバタしていた。警報が出て学校が休みになったようで、高校生達が嬉しそうに途中下車していった。私はエブリデイサンデイなのだ。日本海沿いに北海道を目指す、雪は大丈夫か?少々心配になる。小浜線沿いに八朔だろうか?柑橘の大きな実がたわわに実っていた、冬の旅では余り記憶にない光景だった。日当たりの良い線路沿いには水仙がもう花をつけていた、これはいつもの冬の旅の光景。敦賀駅では、予定より1本早い福井駅行き10時42分発の電車に乗る事が出来た。敦賀駅から福井駅へ行く車窓からの風景に全く見覚えが無い?以前に通っているはずと後日調べたら鉄道では一度も通っていない事が分かった。今庄駅を過ぎたあたりから雨脚が強くなって来た。今庄駅の近くに美味しい越前そばを食べさせてくれる「ふる里」という蕎麦屋がある。宇野重吉の写真が飾ってあった小さな店。福井駅で駅そば330円を食べた。麺は柔らかく、味は甘めでそれなりの味、店は今庄蕎麦と謳っていた、それはどうかなぁ?って感じ。今庄の蕎麦屋さんが文句を言いそう。加賀温泉駅では巨大な観音像を見た。小松駅を過ぎたあたりから空が急に暗くなり酷い雷雨になってしまった。何時も思う事だけど、冬の北陸旅・日本海沿いの旅はどこか切ない雰囲気がある、楽しい中にほんの少し切なさが漂う、それが良いのか。泊駅で霰のでっかい奴、雹が降ってきた。雹が電車に当たる音が聞こえてくる。今日泊まるのは直江津。今住んでいる所には外食出来るような店が無い、酒を飲むなら片道電車で行き、帰りは電車が有れば電車を使い、駅から街灯も無い道を20分歩くか、店からタクシー6,000円也、かホテルに泊まる。タクシー代とホテル代はほぼ同じ。という事で焼き鳥もしばらく食べてないなぁって思っていた。今日は焼き鳥屋を探して直江津の地酒を飲む事に決めた。直江津に着いて、駅のすぐ前のホテルにチェックインして荷物を置いたら直ぐに焼き鳥屋を探しに外に出た。チェックインの時、ホテルでは朝食の代わりに駅弁を用意してくれるという、本来ならホテルを出る時間が早いので弁当は貰えないのだが、早く弁当を用意してくれるという有難いお言葉、有り難く「鮭弁当」をお願いした。雨風が強い。ホテルの傘を借りた。ホテルを出て三歩目ぐらいに強い風を受け、新品のビニール傘は破壊されてしまった。壊れた傘を変な風にさして焼き鳥屋を探した。幸いな事に、ホテルから駅へ向かう途中に少し煤けた様な小さな焼き鳥屋を見つけた。「鳥幸」という店、美味そうな雰囲気が漂う、店に入ると席はカウンターだけで、客は常連しか居ない感じ、最初は胡散臭そうに見られたが。まずは生ビールを頼むけど、生ビールは無いとの事で、サッポロの瓶ビールを頂いた。皮の塩焼き3本、肝の塩焼き2本、ネギ間塩焼き2本を頼んで食べる間に、日本酒 かたふね本醸造・八恵久比岐・白水という米焼酎を飲んだ、焼き鳥は塩焼き、日本酒はやっぱり新潟だなぁと思いながら。最後に皮の塩焼き2本追加。久しぶりの焼き鳥と直江津の地酒を堪能した。はずだったけどホテルに帰るまでに餃子屋を見つけ、焼き餃子と生ビールを頂いた。翌日は生ビールの分だけ二日酔いになった。

 

駅そば 福井駅 今庄そば 営業中

焼き鳥 直江津 鳥幸   営業中

ホテル 直江津駅前 ハイマートホテル

餃子  たぶん、ヒロ坊  営業中

広島県呉市の豪雨災害の傷跡に思う

下関駅を6時に出る電車に乗った。未だ空は暗い、宇部駅を過ぎる辺りから東の空が少し明るくなってきた。下関駅では満月が出ていたので今日は晴れるかも?と思っていると、元由来駅を過ぎる頃から東の空が暗い雲に覆われて来た、雲だけでなく日が昇るにつれ霧まで出て来た、霧が出るって事は晴れるのか?防府駅を出る頃に見た太陽はこの旅の初日に岐阜駅で見た太陽とは異なり、まん丸の橙色の太陽だった。瀬戸内海が見えてきた、日曜日なので岸から釣りをしてる人も多い。下松は本格的に磯釣りを始めた場所で、車窓から見える風景にも見覚えのある場所が多い。広島市に近づくに従い屋根にブルーシートを掛けている家が増えてきた。大竹駅・宮島口駅・廿日市駅を経て広島駅に着いた、朝飯を食べるべく駅そば屋を探す、広島駅の2階に立派な駅そば屋があった、広島駅も見違えるくらい綺麗になっていた。少し前、テレビでこの駅そば屋のカープ応援うどんとも言うべき赤いうどんを紹介していた、残念ながらこの時は赤いうどんは無かったのか?どうなのかわからない。ギリギリで天ぷらそばをかき込み、呉線の広行きの快速電車に乗ることが出来た。天応駅を目指すけど快速電車は天応駅には止まらないので、天応駅の1つ先の吉浦駅迄行き、広島駅行きの普通電車に乗り換えて一駅戻って天応駅を目指した。日曜日なのに乗客が多い、向洋駅で多くの人が降りたので、マツダの社員の人達だろうか?西の空を見るとまん丸なお月様が青空の中で白く光っていた。矢野駅の近くの家々はこの夏の豪雨で被災して、人は住んでいないように見えた。小屋浦駅から天応駅の間の山には大きく地滑りした跡が見えた、山の上から大量の土砂が流れて来たのが分かる。小屋浦駅に有る桜の木は春に向けて小さな蕾を沢山つけていた。呉線は豪雨から半年近く経っても徐行する区間が多い。天応駅に着いて被害の大きかった地区に歩いて向かった、この地区は小学2年から6年まで住んだ地区だ。目に映る景色は昔と余り変わらない。国道より海側は余り被害を受けていない。この辺りに、日本一の牡蠣屋になると言った同級生がいた。昔通った天応小学校を左手に見て被害の大きかった地区に向かった。50年ほど前に住んでいた場所だったけど身体が道を覚えていた、子供のころ通った抜け道も。算盤を習っていた友人の家、めぐみ幼稚園の前の友人の家も被害に遭っていた。昔父親が野菜を作るために借りていた畑の方に行ってみた、この辺りが被害の大きかった場所で、ニュースで頻繁に映像が流れていた。父親が借りていた畑は昔と同じようにそこにあった。畑を背に小さな川を渡り、道に出た。この小さな、走って飛べば飛べそうな川が氾濫した。この川沿いの道にあった友人2人の家はすっかり流されて門扉しか残っていなかった。同級生だった人がそこに住んでいたか、ご家族がそこに住んでいたかは知るよしも無い。算盤を習った家は修理中だったし、表札も友人の家のものだった、風の便りで算盤塾の友人のご家族は無事だった事がわかった。年末なので町内の人達が集まって作業をしていた、見た感じ同年代であろう人達が多かったけど声を掛ける事は出来なかった。神社の前に役所が有るけど、休みだったので寄付も出来ず、早い復興を願うばかりだった。セーラー万年筆の工場の前を通り、呉ポートピア駅迄行ったところ、丁度広島駅行きの電車が入って来た。昼食を食べそびれ、広島駅で生ビール、蒸し牡蠣、牡蠣フライを食べて、14時30分にホテルにチェックインして直ちに風呂に入る。風呂から上がって今晩食事をする店「うめだ」に歩いて行った、約1時間広島駅から歩いた。途中アーケード街の広島本通り商店街を目指し、広島三越で明日の朝の御飯に、「上野屋の穴子飯」2,000円を買った。上野屋の穴子飯は広島の美味い物の最上位近くにあると今でも思っている。広島で仕事していた頃は穴子飯は1,600円だったのに。平和大通りを通り、NHKビルを右手に見て平和公園の中を突っ切りうめだに着いた。うめだでは昔の同僚3人と楽しい時間を過ごすことが出来た。うめだでは勝手に牡蠣は出ないだろうと思ったら、やはり牡蠣が出た。昼牡蠣を食べたのは失敗だった。三重県にも住んでいた事があり三重県志摩市の的屋牡蠣も食べていた、牡蠣自体は三重県の勝ち、って感じ。良い気持ちでホテルに帰り、風呂にと思ったけど眠ってしまった。翌朝7時19分の呉線広駅行き電車に乗った、広島駅の2階にある駅そば屋はもう開いていた、しかし、鞄の中には朝飯の上野屋の穴子飯が有る。再び被害の大きかった地区を通り広駅に着いた。乗り換えに時間が有るので広駅の待合室で穴子飯を食べる事にした。広駅にはセブンイレブンが併設されていた、セブンイレブンで日本酒を買い朝から穴子飯で乾杯。穴子飯はもち米感が減り味も少し落ちた?完食・完飲して再び電車に乗った。呉線安芸川尻には日本一短いトンネルがある、総延長8.7メートル。三原辺りの山々には豪雨によって出来た猫が引っ掻いたようなスジが幾つもあった。猫が引っ掻いたような、という表現は私の向かいに座った青年が言っていた。青年は自転車旅行に行く途中との事。広駅から三原駅の間では地元の女子高生風?で一杯だったけど広島市内の女子高生より可愛い子が多い気がした、化粧がけばい?姫路駅で遅い昼食を食べた、牛蒡磯辺そば400円。麺は白っぽく、太麺でそばというより細めのうどんみたい、味はというと、美味かった。調べると、麺はカンスイ入りの中華麺!うどんでも、ましてやそばなんかではなかった。この和風の中華そばが姫路の名物って事はだいぶ時間が経ってから知った。姫路からは新快速で米原駅へ向かった。新快速ってのは昔で言うところの急行?2018年冬の青春18切符は1日分余らせてしまった。2019年は九州を回ろうか?

 

駅そば 広島駅 驛麺屋 営業中

割烹  広島  うめだ 営業中

弁当  広島三越 上野屋穴子飯  営業中

駅そば 姫路駅在来線下り まねき 営業中

下関で酔っ払い、神社に詣る

翌朝、雨は殆ど上がっていた。鳥取駅5時49分発の電車に乗った、当然未だ真っ暗。倉吉駅を過ぎる頃から少しずつ夜が明けてくるのを見た、茜色、倉吉の牛骨ラーメンも美味かったなぁと思いながら。倉吉駅から2つ目の由来駅をコナン駅と呼ぶらしい。乗っている電車も一面コナンの絵が描いてある。進行方向左手に雪をいただいた大山が見えて来た。電車の中は暖房は切れていたけど暖かい、天気も回復しそうだ。線路脇には今咲いたばかりのような水仙が其処彼処に咲いていた。後来屋駅を過ぎたが、後来屋駅は山陰最古の駅らしい。米子駅に到着、米子駅から西は複線になるみたい、さて、何処まで続くか?と思ったら揖屋駅までの10キロくらい、又単線に戻った。益田駅で1時間ほど乗り換えの時間があったので、昼飯を食べに駅を出た。益田駅の近くに竹内まりや氏の親戚の方が経営する「竹の屋」という蕎麦屋がある事を思い出し、行ってみたが、本日、予約客以外はお断りの張り紙が、残念。何処でもそうなのだが、駅周辺の食べ物屋が絶滅危惧種になりつつある、食べ物屋は車に乗って郊外で食べるスタイルになっている。益田駅の近くにも食べ物屋は殆ど無い。駅の横に焼肉屋があったけど、昼から焼肉は食べる気にならず、焼肉屋の横にあった「大阪王将」で生ビール・餃子・ラーメンを食べた。今ひとつだった、客は、そこそこいたのだが、残念な食事だった。萩市内に入った、賑やかなのは東萩駅だった、この駅で多くの人が降りた。萩駅もあったけどなんとも寂れた駅だった。長門市駅から西は角島に車で行ったきり、電車で行くのも初めて。川棚駅の2つ先の、梅が峠駅は本州最西端の駅らしい、ならば本州最北端の駅は青森県大湊駅、だと思ったら下北駅だった。最南端に駅は和歌山県串本駅、だっと思ったら和深駅だった、串本駅には本州最南端の碑のような物があるのに。最東端は岩手県の船越駅。船越駅以外には行った事がある。本州最北端の駅は今の今まで大湊駅だと思っていた。下関駅には17時25分に到着。ホテルに荷物を置いて美味い酒と食べ物を求めて街を彷徨う。12月22日の土曜日という事もあり、どの店も満席。漸く「みすず」という居酒屋を見つけた。まずは生ビールで喉の渇きを癒し、下関なのでふぐ刺しは有るかと尋ねたら無いとの返事。それならばと下関のもう一つの名物のクジラの刺身を注文した、なんの臭みも無く美味かった。店の主人が特牛(とっこ、と読む、土地の名前)のイカも有るという、所謂白イカ、これも歯応えと甘味が有り、美味い。次はクジラの尾の身か、と思っていたけど、他のお客さんが頼んだおでんが美味そうだったので、卵・大根・ヒラ天に牛蒡の入ったおでん種を頼んだ、ヒラ天の牛蒡入りは下関の名物らしい。ここで生ビールおかわり。またまた、店の主人が店でブレンドした日本酒が有ると宣うので一杯、地元の大吟醸が有るというので一杯、新種の柚子を使った酎ハイが有るというので更に一杯飲んで晩御飯は終了。店の近くにあった神社に参った。石段が急で長い神社だったので調べてみると「大歳神社」のようだった、場所もみすずと下関駅の間なので間違いない。酔っ払いには115段の急な石段はとてもきつかった、けど凄く印象に残っている、下関の夜景も。酔っ払らうと食欲に際限が無くなり、金銭感覚も少し悪化する。ホテルに帰る途中でインド系の若者が作る豚骨ラーメンを食べてしまった、味は普通。更にパチンコ屋を見つけキューティーハニーに2,000円つぎ込む。よく回り、何回かリーチもかかったけど当たらず。ホテルに帰る。ホテルに大浴場が有り、入ったのだけど酔っていてよく覚えていない。喉が乾き夜中2〜3回目が覚めた。

 

中華料理 益田駅 大阪王将 営業中

居酒屋  下関  みすず  営業中

神社   下関  大歳神社

鳥取で手軽な冬の味覚を楽しむ 青春18旅

2018年12月21日(金)朝5時30分に自宅を出発、空は晴れていた。師走にしては暖かい。少し前から痺れてる左手の調子が悪い。電車の中から見た昇る直前の太陽はビックリする程の橙色で、形は真丸ではなくお椀をひっくり返したように上部が変形していた。冬の朝、太陽は空気が澄んでいるのでとても綺麗に見える。茜色って言うんだろうか?大垣〜米原の間は朝の通勤通学で混んでいた。米原を出て敦賀に向かう電車の乗客は疎で、ようやく旅らしくなってきた。木之本駅で降りたソバージュヘアーの可愛らしい女子高生はどんなバイトをして55万のバイト料を貰ったんだろう。余呉湖の上空だけが霧に覆われており、湖岸では釣り人がちらほら見えた、ワカサギ釣りなんだろう。敦賀駅で乗り換えの時間があったので朝食を探しつつ駅周辺を散策した、しかし食事が出来るところが無い、アーケードの端まで来てしまったけど。前方に氣比神宮を見つけた。氣比神宮に参拝して反対側のアーケードを駅に向かったが、こちら側にも何も無い。敦賀駅に戻ると、駅そば屋があった。とろろそばとビールを頼んだら、缶ビールを隣りの売店で買ってこいとの事、ひとまずお腹は落ち着いた。駅の売店で土産用のとろろ昆布を3つ買った。売店の試食用の鯖寿司をいただいたらこれが美味かった、とろろそばでなく、鯖寿司でビールでも良かったかなと思ってしまった。東舞鶴駅で乗り換えて福知山駅に向かった。福知山駅で待ち時間があったので駅を出て少し遅い昼飯を食べた。北口を出たところに有る粉物屋で、福知山でしか食べれないという「ゴム焼きそば」と生ビールのセット1,050円をいただいた、味はそれなりで静岡県富士宮焼きそばの麺よりも太くてコシがある感じだった。福知山駅からの電車の座席が硬い直立の座席なので慣れるのに時間がかかった。梁瀬駅を越えた辺りから窓ガラスを通じて冷気を感じるようになった。豊岡駅浜坂駅行きの電車に乗り換える。豊岡駅の乗り換えの時は16時過ぎだったけど未だ少し暖かさも感じた。鉄橋の上に駅の有る餘部駅を通過する頃には日もすっかり暮れて真っ暗で何も見えなかった。なんとなく、線路から聞こえてくる車両の音で高い場所を走っている事は分かった。餘部駅を過ぎる頃から雨が降り出したようだった。本日宿泊する鳥取駅には19時1分に着いた。駅の構内から宿泊する「グリーンホテルモーリス」が見えたのだけど、駅を出てホテルを見失った。うろうろした後、ホテルに荷物を置いて雨の鳥取の街中に向かった、モサエビを探しに。少し歩いたところに「喜多八」という寿司屋を見つけた。店は忘年会シーズンの為混んでいた。まずは、生ビールをモサエビの刺身で楽しんだ。モサエビは鮮度劣化が早いので産地でしか食べれないようだ。地酒を追加してモサエビの塩焼きで楽しんだ。回りの客には医療関係者が多かった。隣りの客は愚痴の多い救命救急医だった、まぁ大変なんだろうと思いながら聞くとはなく話を聞いていた。少し物足りず、せっかく冬の山陰に来たのでカニでも食べようとカニ酢を頼んだ。松葉蟹の雌、セコガニ1匹を使ったカニ酢が出てきた。酢に浸けずとも美味い。酒が進んでしまった。貧乏旅なので、雄の松葉蟹など縁のない食材。モサエビとセコガニで満足。店を出てホテルに帰ろうと思ったが、鳥取には牛骨ラーメンが有る事を思い出した。寿司屋の数軒先に「ごっつぉらーめん」を見つけた。牛骨ラーメンはおやつ代わりのラーメンって感じで量も値段も良い感じ、牛骨の香りと味が効いた美味いラーメンだった。ホテルはベッドも広く、防音もしっかりしていてとても快適。大浴場に入って眠ったけど、湯船の塩素臭は如何ともし難かった。多分22時には眠った。

 

駅そば  敦賀駅 とろろそば  営業中

神社   敦賀氣比神宮

食事   福知山 ゴム焼きそば  営業中

寿司屋  鳥取  喜多八    閉店

ラーメン 鳥取 ごっつぉらーめん 営業中

ホテル  鳥取 グリーンホテルモーリス 

        営業中

再びの広島、テールスープでお腹一杯に

朝5時30分ぐらいにホテルを出て徒歩で延岡駅まで行った。昨日は気付かなかったけど、延岡駅の待合室が凄かった、待合室が図書館になっていた、しかも蔵書は全て旅に関する本、六角さんの旅の本を斜め読みした。室内はとても綺麗で過ごし易い、駅に用事が無くても本だけ読みに来たいくらいだ。延岡駅発6時10分の電車は4両編成なのに、4号車にしか乗車出来ない。4号車以外は立ち入り禁止。車両自体は特急電車の車両を使っていて、足元も広く、フットレストまであった。読書灯もある。青春18切符で特急電車に乗れたのは、まさに早起きは三文の徳?得!だった。この車両は大分駅からは特急電車として運行するということだった。佐伯駅で電車を乗り換えたけど、中津駅まで暖房が入っておらずとても寒かった。途中下車して中津駅で朝ごはんをとても思っていたが、駅の周りには何もなかった。朝ごはんは小倉駅で食べることになった。小倉駅で、来る時に食べた駅ラーメンの違う種類のラーメンを食べたかったが、次乗る電車のホームと離れていたので近くにある駅そばで「牛蒡天うどん」430円を食べた。冷凍の麺でコシも有る牛蒡天と一緒に入っていた鶏肉も甘辛く味付けされて美味かった。冷凍うどんは許せるというか、腰があり旨い。博多名物の柔らかい麺のうどんも食べてみたかった、かろのうろん。広島に向かった。広島では息子と「デンスケ」というホルモン料理中心の居酒屋に行く事になっていた。デンスケには広島に住んでいた時ちょくちょく行っていた。クリスマス前の土曜日という事でタクシーが混んでいた。息子にタクシーを確保してもらいデンスケに行った。まずは生ビールで息子と乾杯、デンスケでは必ず2人前食べるモツ煮を頼んだ、デンスケのモツ煮は作り方不明な透明なスープであっさりしていながら味はしっかり、ネギたっぷりで旨い。相変わらず美味かった。デンスケに来るのは20年ぶり、何故20年ぶりかが分かるかというと、昔メニューにあったリードボーの串焼きを頼んだら、狂牛病が問題になった時から料理として提供をやめたという事で、もう20年以上前の事らしい。前回来た時にリードボードを美味しく食べたので。結構飲んで食べて精算をお願いしたら、この店に来てテールを食べないってどうなん?と店主の言葉、更に損だよとも。そうまで言われたら食べるしかない。次のラーメンのために空けておいた胃袋の空き部分を使った。やっぱり自慢のテールは美味かった、しかし、胃袋はほぼ満タンになってしまった。横川駅の近くにある「味億」の尾道ラーメンも食べたい。という事で、味億を目指して少しでも胃袋のスペースを空けるために味億まで歩く事にした。広島の街中を通る平和大通りはクリスマスイルミネーションで賑わっていた、息子と歩くクリスマスイルミネーションもええかなぁ。味億に着いてビックリ、閉まっている。調べたら、営業時間が昼間だけになっていた。ラーメンは諦めても良かったが、息子が近所のラーメン屋を検索、すぐ近くに「陽気」支店があった。お腹一杯で味はよくわからない状態だった、ラーメン屋さんには申し訳ない。バイトの女の子の感じが良かったので良しとした。今日泊まる岩国へ電車で向かう、息子は途中下車。明日朝が早いので息子に遠慮した。岩国へ向かう電車には米軍兵が結構乗っていた。たむろしている外人、それも酔っ払った兵士が騒いで、たむろしている光景はあまり気持ちの良いものではなかった。翌日午前5時にホテルを出た。駅に行く途中のカラオケ屋の前に酔っ払った若者のグループがいた、これも余り気持ちの良い光景ではなかった。そのグループの中にバケツを抱えて動けない若者がいた、ちゃんと介抱してあげなよと思いながら横を通り過ぎた。寒いので予定より30分早い電車に乗った。どれだけ時間の短期が出来るか?福山駅を過ぎる頃は予定より30分早く進んでいたが結局、姫路駅で予定の電車に乗る事になった。岡山駅で待ち時間の時に買った讃岐うどん讃岐うどんの汁が美味かった、これは後日自宅で食べた。今回は雪を見れなかった。来年は冬の北海道でも目指すか、と思いながら予定通りに自宅に到着した。

 

駅そば 小倉駅 うどんを食べた 営業中

料理  広島  デンスケ    営業中

ラーメン 広島 陽気横川店   営業中

人を見る目が無い、反省、電車内で。

朝5時45分に宿を出て「元湯温泉」という温泉に行った。未だ夜は明けておらず暗い。元湯は6時から開く。5分前に元湯に着いた。玄関を掃除していた人から、「もう入って良いよ、入浴料は200円だから番台の上に置いておいて」とのお言葉。番台の有る風呂に入るのは小学生以来か?50年振り。すでに先客が2人いた。脱衣所に鍵は無く、風呂も湯船と桶と椅子があるだけ。蛇口も無くもちろん石鹸やシャンプーなんか有るわけない。湯船からお湯を直接汲み身体にかけてから風呂に入った。湯量が豊富なので蛇口は無くて大丈夫。1時間ほど湯船を出たり入ったりして暖まり元湯温泉を出た。番台にあった全国共同浴場番付によると、人吉の共同浴場番付は、前頭だった。空は少し明るくなっていた。温泉を出ると、散歩している御夫婦に会った。おはようございます、とタオルを乾かす為に振り回しながら挨拶すると、もう朝風呂に入って来たんですか?と驚かれた。宿に帰る途中、空には今まで見た事も無い数の烏を見た。烏は嫌いではないけど糞は落とさないで欲しい。一度だけ烏の糞の直撃を受けたことがある、その時は髪の毛に糞が当たった。幸い糞は髪にも身体にもそんなに被害を及ぼさなかった。糞をした烏に文句を言ったら何か申し訳無さそうにしていた。気のせいだな。宿に戻って少し休んで再び宿の温泉に入って髪・身体を洗ってスッキリ。宿をチェックアウトしたあと人吉駅の近くにある青井阿蘇神社に詣でた、この神社は国宝に指定されている。神社の入り口にはもう門松が飾られていた。神社の横に内村光良さん紅白司会おめでとう的な幟立があった。お参りして少し早いけど人吉駅に向かった。駅の近くにある熊本物産店でお土産の米焼酎、「武者返しの4合瓶」とつまみをを買った、この焼酎が結構重かった。人吉駅前にはカラクリ時計があった。この時、人吉駅のホームには「ななつぼし列車」が停車していた。ななつぼし列車の客の殆どが中国系の観光客に見えた。人吉駅の横にある駅弁屋さんを覗いたら鮎寿司と書いてある、探したけど季節外れか、鮎寿司は見当たらなかった。その後、2022年鮎寿司を京都府の園部で見つけた。人吉駅発10時8分の「いさぶろう しんぺい号」に乗車した。この電車は人吉駅迄は特急列車で人吉駅からは普通列車になり、青春18切符でも乗れる。しかしながら座席の殆どは指定席、数少ない自由席に座る事が出来た。肥薩線は傾斜が急な為、スイッチバックとループ橋を使って傾斜を登っていった。いさぶろう しんぺい号アテンダントの顔に見覚えがあり、六角さんの呑み鉄旅の番組に出てませんでした?と聞くと、出てましたとの返事。終点の吉松駅に到着。吉松で昼飯を食べようと思っていたが、有るのは温泉ばかり、食べ物屋さんが無い。時間は有るので駅から道を下って行った。歩く事数分、「お好み焼き ともちゃん」を見つけた。12時前のため未だ準備中。しかし、店からお好み焼きの良い匂いが。未だ暖簾のかかってない入り口を開けて、入っても良いか尋ねると、良いよ、という事。とりあえず生ビールとお好み焼きを注文した。生ビールのあてに隼人ウリと柚子の甘酢漬けをサービスしてもらった。店主から隼人ウリは知っているかと聞かれたので、知ってますよ、隼人ウリの糠漬けを漬けていると言ったら驚いていた。お好み焼き豚玉が出来、生ビールが無くなったので地の焼酎を頼んだ、銘柄は不明。お好み焼きがふわふわだったので、山芋を入れてふわふわなのか?と聞くと、企業秘密らしい。美味かった。ほろ酔いで吉松駅に戻った。吉松駅から隼人駅行きの電車に乗った。途中1匹の猿が現れて電車を追っかけてきた、乗りたかったのか?威嚇しているのか?覚えているのはこの辺りまでで、焼酎の心地よい酔いで眠ってしまった。桜島を見た記憶が無い、やってしまった。鹿児島県内を電車で走行中に気付いたことは、お墓に屋根が付いていたこと、火山灰を防ぐための屋根?都城駅に到着、寒かった。宮崎駅から延岡駅に向かう2両の列車はめっちゃ混んでいて2時間立ちっぱなしだった。ほぼ満員の列車に、目に障害の有る生徒数人が乗り込んできた、座れる席は無かった。しばらく走ると、おそらく仕事納めで酒を飲んでいるのか酔っぱらった労働者が乗り込んできて盛んに生徒たちに絡んでいた。離れていても酒の匂いがする。何を絡んでいるのかと訝しみつつ見ていた。よく聞いてみると、生徒達が下車する時にその酔った労働者の方は生徒たち一人一人に「気をつけて帰りなよ」と優しい言葉。どうも生徒達に大丈夫かと聞いて、席が空いたら座るように話していたよう。反省。人を外見だけで判断してはいけない、頭では分かってはいるのだが、再び反省。都城駅では自分も大きな荷物を持ちながら、大きな荷物を持ったお婆さんを助けていた外人さんの姿も印象に残った。見習いたいって本当に思った。延岡駅に到着した、当初はホテルに荷物を置いてから晩御飯をと考えていたけど荷物が重いのでホテルに行く途中で晩御飯を食べることにした。駅から少し行った所に「直ちゃん」というチキン南蛮の店を見つけて、そこで食べることにした。直ちゃんではチキン南蛮のセット900円と生ビール合わせて1,500円也。初チキン南蛮、とても美味しかった。チキン南蛮の衣は卵白という事だったけどどのようにして揚げているのか分からない。セットの味噌汁も海老出汁が効いてこれも美味し。ホテルに入り、ホテルの外にある提携の銭湯に行った、温泉ではなかったが。21時過ぎには眠ってしまった。後で知ったのだが、直ちゃんはチキン南蛮の元祖らしく、行列の出来る店らしい。ついていた。こんな事もあるし、行きたくても、店の前まで行っても縁のない店もある。

 

温泉 人吉 元湯温泉 300円で営業中

お好み焼き 吉松駅 ともちゃん 営業中

チキン南蛮 延岡駅 直ちゃん 営業中

人吉市で美味い鰻と良い湯を堪能。人吉の完全復活を祈念する

朝6時30分息子の部屋を出た。昨日岩国からタクシーで帰って来る時に大竹駅の場所は確認したはずなのに、分からなかった。酔っていたのか?自転車通学の男の子のような女の子にお願いして駅までの道を尋ねた。やはりすぐ近くだった。平日なので電車は学生で一杯だった。下松駅を通過する時、新幹線のボディーを作っている工場が見えた、昔、ニュースか何かでこの工場を紹介していた事を思い出した。下松は海釣りの船に乗るためによく来た場所。車両の中が昨日と違って寒い、暖房が入っていない。窓の外を眺めていると四辻駅の手前で雄の雉を見つけた。学生は新山口駅で殆ど下車した。暖房は新山口駅から入った。新山口駅から人が少なくなるから暖房を入れたんだろうか?鷹のような鳥を見つけた、冬毛で体がふっくらと膨らんでいて、首から腹にかけて柔らかそうな白い毛で覆われていた。冬の鉄道旅でよく見かける。調べてみるとノスリではないかと思われた。鷹狩りには使えない鷹の仲間らしい。下関駅を通過して関門トンネルを通過した、あっという間にトンネル通過、気をつけていないと関門トンネルと気づかないほど短い普通のトンネルだ。久しぶりの九州上陸だ。朝から何も食べていない、お腹が空いた。小倉駅に電車が入る時にホームに駅そばならぬ駅ラーメンが有るのを見つけた。次の乗り換えの電車は駅ラーメンの有るホーム発なので乗り換え時間はかからない。小倉駅6番線に駅ラーメンはあった、麺屋 吉蔵という。駅ラーメンは初体験だ。昼飯時なので店は混んでいた。白味ラーメン650円を食べた。空腹であることを差し引いても美味かった。ヒヤヒヤしながら急いで食べたけど4分ほど時間があまった、もう少し味わって食べても良かった。1人で店を切り盛りしているお母さんにお礼を言って電車に乗り込んだ。車窓から昔、下手なゴルフのゴルフ接待で行ったことのある古賀カントリークラブを見つけた。ゴルフは好きになる事はなかったなぁ。大牟田駅辺りでカササギを見つけた、よく見るとそこら中にいる。熊本駅に入る手前で熊本城を見た。熊本城は2台の大きなクレーンを使って修理中だった。車窓から見る熊本市には未だ地震で壊れたままの家・建物がたくさん残っていた。この時は翌年、豪雨が又この地を襲うなんて事は考えもしなかった。八代駅に到着、八代駅では1時間26分時間がある。駅を出てみるけど駅前には何も無い。八代駅の裏手は工場で白い湯気を上げて操業していた、製紙工場のようだった。駅周りを歩いて来たけどまだ40分ほど時間がある。駅の売店で鯛ちくわを買い、家から持って来たサーモスの水筒に入れた焼酎を八代駅のホームで一杯やった。天気も良く、暖かく、鯛ちくわも焼酎も旨い。八代駅を出ると、球磨川沿いを走り人吉に向かった。この時は球磨川の急流を見て驚いたり、水の透明度に感動したりしたが、翌年、この急流がもたらした甚大な被害のニュースを見ることになる。人吉駅には18時前に着いた、辺りはもう暗くなっていた。宿を着く前に晩御飯を食べる、店は「上村うなぎ」に決めた、ネット情報で決めた。大当たりだった。まず、生ビールとうなぎの肝焼きを食べた。肝焼きは10本で1,000円、5本500円で良いのでは?肝焼きのタレの甘味は黒糖?ビールから米焼酎に切り替えた。そこら中に、有名人のサインが貼ってある。締めというかメインは鰻丼の上を頼んだ、2,800円。安い!天然うなぎかどうかは不明だが、とにかく鰻の身が分厚く、とても旨い。この分厚い鰻を関東風に蒸してから焼いても美味いんだろうなぁなどと不埒な事を考えてしまった。美味かった、鰻丼もう一杯くらいなら食べれそう。トイレに行って分かったのだが、上村うなぎ屋は増築が繰り返されてまさに、鰻の寝床の様な作りだった。上機嫌で徒歩で宿に向かった。今日の宿は「相良路湯 おおが」温泉宿だ、温泉を使う温泉プールが併設されていて水泳教室もやっているようだった。朝から風呂に入ってなかったので、チェックインしてすぐに温泉に入った。湯量たっぷりのモール温泉。高温の湯・普通の湯・水風呂の3種類の風呂があった。高温の湯と水風呂を交互に3回ずつ入って部屋に戻った。「六角精児の呑み鉄旅」で「堤温泉」というのを紹介していたので行って見たが、工事中で休み、残念。仕方なくコンビニでビール・お茶・つまみ等買って宿に戻った。寝る前にもう一度温泉に入った、しかし、気持ちの良い温泉だ。日帰り入浴が300円で、24時間入れるので客も多い。気持ちの良い入浴疲れで爆睡。

熊本豪雨で上村うなぎも被害に遭われたというニュースも見た。今は再建されて営業されている。喜ばしい限りだ。豪雨災害の後、何か出来ればと、六角さんが番組の中で飲んでいた「武者返し」の一升瓶を数本だけど購入させていただいた。又元気になった人吉に鰻・米焼酎・温泉を堪能しに行ってみたいと思う。

 

駅ラーメン 小倉駅 麺屋 吉蔵 営業中

鰻 人吉  上村うなぎ屋 再建されて営業中

宿 人吉 相良路湯 おおが 営業中